君たちはどう生きるか
父が亡くなって3年目に親族が集まった際に母が前に立ってお礼の挨拶をした
人前に出ることが特別得意でもない母が集まってくれた人たちにひたすら感謝を伝えようとする姿に思わず涙が溢れそうになった
体調を崩しても病院に行く事を頑なに拒む父に対し、通常なら「お願いだから病院に行って」と言いそうなものを、最期までその意思を尊重し、そばで手を握りながら父に感謝の言葉を伝え続けていた母
どう生きるか
人生の折り返しも過ぎ、そう自問する機会が増えた自分にはロールモデルが身近にあることに改めて気付かされた
目に見える達成や到達も求めずただ目の前に与えられた事に一生懸命取り組む
簡単に真似できそうにないが、そんな風に生きられたらなぁ、そう感じた滞在だった
白いモビルスーツ
バスルームの窓とブラインドの間を飛び交う蜂を見かけるようになったのは少し暑くなり始めたころだった
最初は一匹迷い込んだだけだと思っていたがそうではなかった
捕まえても、捕まえても新たな蜂がどこからともなく現れる
すぐ近くに巣ができた事は明らかだった
外に出て二階のバスルームを見上げると、そのすぐ上の屋根の隙間に蜂がせわしく出たり入ったりしているのが見える
巣は屋根の中だ
見上げながらつぶやくボクは酒蔵の杉玉のような巣が屋根裏にあるのかと勝手に想像して戦慄を覚えた
心休まらない家族にせかされアパートのメンテナンスに電話をかけ対処を依頼した
白い防護服に身を包んだ男が現れたのはその二日後だった
そのプロフェッショナルな出で立ちに思わず期待が高まった
「いつもバスルームに現れる」そう説明して二階へ案内した
見た目三十前半、ガンダムの主人公というよりはガンタンクの操縦者といったメタボなその男が階段を上るだけで息を切らしていたのが少し気になったが
バスルームの窓からしばらく上を見上げた後に男はこちらを向き「オーケー」とだけ言った
何がオーケーなのかは分からなかったが、自信がありそうな事だけは伝わってきた
「ここからはプロの仕事だ、素人はお引き取り願いましょうか」防護服のフィルター越しに見えるメガネが光りまるでそう言っているかのようだった
蜂の巣駆除はチームで何か器具を使って行われるのをテレビで見たことがある
防護服以外は手ぶらで、しかも一人でやって来た男が一体どうやって蜂の群れと対峙するのかに関心があったが、無防備な自分が大量の蜂に襲われる恐怖を想像して静かにバスルームのドアを閉めた
5分もせず男が仕事を終えて出てきた
「早っ!」
思わずそう言ってしまったボクに
「処置をしておいたのでもしまた蜂が現れる時は連絡をくれ」
そう言って男は去って行った
蜂は翌日からも引っ切り無しに現れた
以来連絡して二度ほどその男がやって来たが
「巣自体を取り除かないとダメでないのか」と問うと早口で何か説明され、いまいち言っている事が分からなかったものの、男にはそれができない事だけは理解ができた
二度とも何か謎の処置を施していったが、その後も蜂の勢いは全く変わらなかった
見かけ倒しもあそこまでいけば称賛に値するが、その防護服の男が我が家に呼ばれる事は二度とないだろう。でも、もしまた会う機会があれば見事中の人を守るという任務を果たしたその防護服を、大人用二着、子供用一着、どこかで手に入れられないか尋ねてみたいと思う
それが手に入れば我が家に再び平安が訪れるであろう
その平穏と引き換えに近隣に多少のザワツキが起こるかもしれないが
全身白の防護服で団欒する家族の姿を人は涙なくしては直視できないに違いない
でも考えてみれば用を足す時にバスルームで脱がなければならないだろうから結局意味がない事に気づいたのでやめる事にする
ほんとどうでもいいことですが
にて違う試みをはじめてみます
空白の時間
真言宗の祖空海にはその消息が記録にない空白の7年間といわれる期間がある
23歳で出家の宣言書を記し、30歳で遣唐使として留学するまでの間である
山に篭って修行を行なっていたとも言われている
遣唐使として唐に渡った際、通訳を必要とせずまたその漢文能力が唐の上級官史を驚愕させたという。全く無名で一介の留学生であった空海が入唐後ほどなくして密教の高僧から直弟子千人を差し置いて教えを授けられたという
その7年間に周到な準備を行なっていたと考えられている
ただ高きを目指して過ごす空白の時間
時は疫病が流行り、人々が暴徒と化す中、生きているだけでも良いかなどと思いがちであったが、私もそのような時間を過ごすため山に篭ろうと思う
オンラインミーティングに参加して青ざめた話
先日、と言っても少し前になるんですが、オンラインミーティングに参加しました
「オンライン飲み会、意外と楽しくね」
みたいな声が巷で聞こえてきていた時だったので、初めての事でもあり一体どげんなもんかと少し楽しみにもしていたんです
結果から先にお伝えすると、それは期待に反してただ恐怖でガクガクブルブルが止まらなくなる体験となったのでここに報告いたします
そもそもこれは飲み会みたいな愉快なものとは違ってフォーマルなミーティングで、それも職場のものではなく、子供の学校の保護者会という事もあったんですが
こちらでは学校が閉鎖された後比較的早くからオンライン授業が開始されていたんですが、その現状報告や学校再開の見通しなどについての説明会みたいなものでした
当日朝9時、開始時刻になり予め送られていたリンクに入ろうとしました。ただ、あまり早く参加してまだ人が集まっていない状況だったら、万が一保護者が自分1人で後が学校の偉い人たちだけだったら、軽く挨拶させられた後にアメリカンジョークの1つでも言わなければならない雰囲気になるんじゃないか、そんな身の毛もよだつような場面を想像して思わず身震いをしました。結局、わざと数分遅れてリンクに入ることを決断した僕は今年で在米7年目に突入します
リンクに入るとそれは想像していたものとは少し違っていました
画面には枠に入った十数人の人たちの顔が映し出されていたのですが、どうも自分が見当たらないんです。参加者の1人としてその一枠を僕の端正なマスクが占めるとばかり思っていたので、何か操作エラーをおかしているかと思いながら話を聞いていると画面に出ているのはどうも学校関係者だけみたいでした
このミーティングは保護者が画面にあらわれる学校のボードメンバーの話をただ聞く形で行われるものである事をその時理解しました
まあ考えてみればそのはずで、もし参加する保護者それぞれの顔を登場させていたら、学校全体のミーティングでもあったので500人以上の顔が現れることになり、みんなが「Oh, where am I?」とつぶやきながら画面上を彷徨い歩く自分探しの旅に出たきり戻らないまま会が終わるようなものになっていたでしょう
寝癖を直し服も着替え、入り込む背景を気にして一生懸命パソコンの角度を調整していたあの時間は何だったんだろうかと思いつつ、話に集中しようとしました
それで話を聞いていると、どうも学校関係者達がどれほど自分らがこの難しい局面に全力で取り組んでいるか、いかに迅速に対応しているか、というような内容で、コミットメント、アチーブメントみたいな言葉がたくさん並べられていました
しばらくその内容を聞いていると画面の下に書き込みが始まりました
保護者達はミーティング中音声での発言はできないのですが、チャットの書き込みはできるシステムとなっていました
その書き込みの内容を見るとそれは皆とても穏やかと呼べる類のものではありませんでした
学校側の苦労を労い、その対応を称えるものとは全くの真逆
学校の不手際、オンラインの不具合、説明不足、対応の遅さ、他の地区に比べオンライン授業の時間が短い、問合せしても返事がない
といった批判の数々でした
「みんなめっちゃ怒ってはるやん」
まあ初めての特殊な状況で学校も対応が大変だろう、オンラインへの切替も比較的早いと思って感心までしていた僕と、他の親達との見解は大きく異なっていました
発言しているボードメンバー達ももちろんその書き込みを生で読んでいることもあり、スクリーン上ではその表情が見る見るうちに硬ばっていき、その言葉は最初の調子をすっかり失ってしまいました
そんな中書き込みはますますエスカレートし
「現状把握も碌にできていないボードは全員メンバーを入れ替えろ!」
他そこまで言ったら冠にモンスターの称号を与えられてしまいそうなものまで飛び交っていました
僕はただただ震えながらその状況を見守っていました
でもしばらくすると、さすがにこれは言い過ぎだと人々が感じたのか
「批判ばかりしても仕方がない。みんなもっと建設的な意見を出そうよ」
「先生達も大変な中一生懸命取り組んでくれているわ」
といった意見が出始めました
最終的には前向きな言葉がチャットの主流を占めるようになり
結局、学校も改善に全力で取り組んでいく、保護者側もそのサポートをしていく、みんなで少しでも子供達の教育への支障を少なくしよう、みたいな着地点に落ち着いてミーティングが終了しました
もしかしたら親自身が大変な状況にある事の影響もあったかもしれませんが、オンライン上に剥き出しとなった人々の怒りを目の当たりにしてしばし呆然としていたのですが、考えればそれはただ大切な我が子の教育が満たされていないと感じた親の真剣な反応でもあり、それに引き換え自分は全く認識が甘かったと反省しました
自分ももっと教育のことを考え、子供の成長を願おうと考えた機会になったという意味で初のオンラインミーティングは恐ろしくも意義ある経験となりました
また僕自身も成長して、いつの日かオフィシャルな場面でジョークの1つでも披露して笑いを取れるような余裕のある大人になれるよう精進するためアメリカンジョークのオンライン講座に申し込もうと思っています
娘に伝えておきたいこと
お父さんは少し歳を重ねてきた経験から、多分こうすれば上手くいくのではないか、と感じることが多少あって、出来れば〇〇に伝えておきたいなぁ、と思っている事があるんだ
でもこっちの都合だけで話を聞かせようとしたって上手くいかないだろうし、タイミングだってあるだろうから、いつの日か「父親は何を考えて生きていたのだろうか」なんてもし思う時があれば読んでもらえると嬉しいなぁ、そんな気持ちで書いています
その伝えたいことの一つに”健康”があるんだ
それと向き合う仕事をしているせいもあるし、まだまだやりたい事もあって時間が必要なためでもあるのだけれど
「どうすれば少しでも長く元気でいられるか」
ずっとこの事を考えてきて一応お父さんなりの仮説を持って生きているんだ
お酒を飲み過ぎない
タバコを吸わない
太り過ぎない
などの科学的に分かっている事も一応気を付けてはいるけど、それに加えてもう一つ意識している事があるんだ
それは
「体と対話する」
ということ
毎日少しでも時間を取ってそれを実行するよう意識しているんだ
どういうことかと言うと
体の中で起きていることに意識を向ける
今風に言えばマインドフルネスと言ってもいいのかもしれないけど
静かに目を閉じて身体の中の一つ一つの働きを想像して感じようとする
心臓や肺や肝臓などがどんな風に機能してくれているか
できれば生物の教科書みたいなものを読んで少し人間の体の事を勉強した方がイメージしやすいのだろうけど、人体の働きを理解すればするほど、精巧でもう奇跡とも言えるくらいのその仕組みに畏敬の念さえ覚えてしまう
例えば菌やウイルスなどから体を守ってくれる免疫システムが備わっているんだけど、何かあれば速やかに反応を起こして仲間の細胞を呼び寄せたり、必要なタンパク質をつくったりして鮮やかな連携を見せながらそれぞれの細胞が機能を発揮する。そして一度出会った敵はちゃんと記憶しておいて再度体に侵入してきた際はより速やかな反応を示す
他に言えば、止血機能、筋の収縮、神経の伝達、ホルモンの調節、腎臓の血液浄化作用、細胞の呼吸、タンパク質の合成、遺伝子の複製、そのエラーの修正、など
挙げれば切りがないけど、その一つ一つ本当に凄まじい事が日夜休まる事なく当たり前のように体の中で行われているんだよね。そのどれ一つでも機能が欠けるといかに大変かという事からもその大切さが分かるんだ
それを日々ちゃんと認識し、そして感謝する
そうしているとその働きが長く維持されやすくなる
きっとそうなんじゃないかなぁ、とお父さんは信じているんだ
怪しい話に聞こえるかもしれないけど
会社に例えるなら
一人一人の社員がそれぞれ誰が欠けても困るような大切な仕事を一生懸命してくれている
誰からも見向きもされなくても基本みんな真面目に働いてくれるけど、それでもやはり会社の社長がちゃんと自分の仕事の大切さを認識してくれていて、ことある毎に労いの言葉でもかけてもらえたら、そうされなかった時に比べ、やっぱりその社員は長くその会社に残って貢献してくれる可能性が高くなる
そんな感じと同じかなぁと思う
あるいはメンタルリハーサルみたいなものでアスリートが本番で上手くいくイメージをすれば体現しやすくなるのと同じで、体の一つ一つの組織がちゃんと機能していることを想像すると、無意識あるいはその類の影響で実際そのように働いてくれやすくなる
まあこれは科学的根拠のへったくれもないのだけど
でも現在の科学で分かっている以上に心と体は密接に結びついていると思っていて、世の中には科学で証明されていなくても大切なことがある、って個人的には信じているんだ
こんな事を言ったって所詮「個人的な感想です」って領域を出ないんだけれども、お父さんは下手したら少なくともここ10年くらいはチェックアップ以外で病院を受診した記憶がないし、体調が悪くて困ることが、たまの二日酔いを除いては、ほぼ無いんだよね
まだ比較的若いこともあるし、たまたまと言えばそうなのかもしれないけど、5分でも10分でも日々時間を取って行なっているその作業が無関係ではないと真面目に思っているんだ
要するに
人は健康を失ってみて初めてその有り難みを認識したりしがちだけど、日頃からそれを意識して感謝することを習慣づけていれば失われにくくなるんじゃないか
というお父さんの仮説
今それを実験中なんだよね
なんて言って〇〇がもしこれを読んでくれる頃には既にポックリいってたりしたら「全然でたらめじゃねえか」って多いに笑ってもらってかまいません
ギャップの探求
女性はギャップに弱い
そう雑誌に書いてあったのを中学生の時に読んで以来その探求が僕のライフワークである
というのは以前にも述べた
ギャップがその人の奥行きを決める
という非常に浅はかな人間の定義を信じて生きてもいる
そのパラメーターの振れが大きいほど人としての幅が出る
ヤンキーが道端の捨て犬を愛でれば愛でるほど
酔拳のじじいの酔いがまわればまわるほど
江頭氏のプライベートでのダンディさが喧伝されればされるほど
趙の紀昌が弓に触れなければ触れないほど
只野係長が職場で無能であれば無能であるほど
ますますその奥行きが広がり人が魅かれてしまう
挙がる例えから伝わる我が教養の深さに思わずたじろいでしまいそうだが
自分もバカと真面目の振れを少しでも両極に近づけたいと願って日々を過ごしている
でも最近ふと
あまりふざけたことを言い過ぎると、いざ肝心な時にマトモな事をしようとしても人が受け入れてくれなくなるのではないか
という不安にかられ始めた
役者がバラエティに出すぎてキャラの印象が強くなると本業でシリアスな役を演じても全く入ってこなくなる
そんな感じと同じである
だからこんな馬鹿な事を言うのはいい加減やめにしようかと考えている
ただもう手遅れだとも思っている