空白の時間

 

真言宗の祖空海にはその消息が記録にない空白の7年間といわれる期間がある

 

23歳で出家の宣言書を記し、30歳で遣唐使として留学するまでの間である

 

山に篭って修行を行なっていたとも言われている

 

遣唐使として唐に渡った際、通訳を必要とせずまたその漢文能力が唐の上級官史を驚愕させたという。全く無名で一介の留学生であった空海が入唐後ほどなくして密教の高僧から直弟子千人を差し置いて教えを授けられたという

 

その7年間に周到な準備を行なっていたと考えられている

 

ただ高きを目指して過ごす空白の時間

 

時は疫病が流行り、人々が暴徒と化す中、生きているだけでも良いかなどと思いがちであったが、私もそのような時間を過ごすため山に篭ろうと思う

 

 

オンラインミーティングに参加して青ざめた話

 

先日、と言っても少し前になるんですが、オンラインミーティングに参加しました

 

「オンライン飲み会、意外と楽しくね」

 

みたいな声が巷で聞こえてきていた時だったので、初めての事でもあり一体どげんなもんかと少し楽しみにもしていたんです

 

結果から先にお伝えすると、それは期待に反してただ恐怖でガクガクブルブルが止まらなくなる体験となったのでここに報告いたします

 

そもそもこれは飲み会みたいな愉快なものとは違ってフォーマルなミーティングで、それも職場のものではなく、子供の学校の保護者会という事もあったんですが

 

 

こちらでは学校が閉鎖された後比較的早くからオンライン授業が開始されていたんですが、その現状報告や学校再開の見通しなどについての説明会みたいなものでした

 

 

当日朝9時、開始時刻になり予め送られていたリンクに入ろうとしました。ただ、あまり早く参加してまだ人が集まっていない状況だったら、万が一保護者が自分1人で後が学校の偉い人たちだけだったら、軽く挨拶させられた後にアメリカンジョークの1つでも言わなければならない雰囲気になるんじゃないか、そんな身の毛もよだつような場面を想像して思わず身震いをしました。結局、わざと数分遅れてリンクに入ることを決断した僕は今年で在米7年目に突入します

 

リンクに入るとそれは想像していたものとは少し違っていました

 

画面には枠に入った十数人の人たちの顔が映し出されていたのですが、どうも自分が見当たらないんです。参加者の1人としてその一枠を僕の端正なマスクが占めるとばかり思っていたので、何か操作エラーをおかしているかと思いながら話を聞いていると画面に出ているのはどうも学校関係者だけみたいでした

 

このミーティングは保護者が画面にあらわれる学校のボードメンバーの話をただ聞く形で行われるものである事をその時理解しました

 

まあ考えてみればそのはずで、もし参加する保護者それぞれの顔を登場させていたら、学校全体のミーティングでもあったので500人以上の顔が現れることになり、みんなが「Oh, where am I?」とつぶやきながら画面上を彷徨い歩く自分探しの旅に出たきり戻らないまま会が終わるようなものになっていたでしょう

 

 

寝癖を直し服も着替え、入り込む背景を気にして一生懸命パソコンの角度を調整していたあの時間は何だったんだろうかと思いつつ、話に集中しようとしました

 

 

それで話を聞いていると、どうも学校関係者達がどれほど自分らがこの難しい局面に全力で取り組んでいるか、いかに迅速に対応しているか、というような内容で、コミットメント、アチーブメントみたいな言葉がたくさん並べられていました

 

しばらくその内容を聞いていると画面の下に書き込みが始まりました

 

保護者達はミーティング中音声での発言はできないのですが、チャットの書き込みはできるシステムとなっていました

 

その書き込みの内容を見るとそれは皆とても穏やかと呼べる類のものではありませんでした

 

学校側の苦労を労い、その対応を称えるものとは全くの真逆

 

学校の不手際、オンラインの不具合、説明不足、対応の遅さ、他の地区に比べオンライン授業の時間が短い、問合せしても返事がない

 

といった批判の数々でした

 

 

「みんなめっちゃ怒ってはるやん」

 

 

まあ初めての特殊な状況で学校も対応が大変だろう、オンラインへの切替も比較的早いと思って感心までしていた僕と、他の親達との見解は大きく異なっていました

 

 

 

 

発言しているボードメンバー達ももちろんその書き込みを生で読んでいることもあり、スクリーン上ではその表情が見る見るうちに硬ばっていき、その言葉は最初の調子をすっかり失ってしまいました

 

 

そんな中書き込みはますますエスカレートし

 

「現状把握も碌にできていないボードは全員メンバーを入れ替えろ!」

 

他そこまで言ったら冠にモンスターの称号を与えられてしまいそうなものまで飛び交っていました

 

 

僕はただただ震えながらその状況を見守っていました

 

 

でもしばらくすると、さすがにこれは言い過ぎだと人々が感じたのか

 

「批判ばかりしても仕方がない。みんなもっと建設的な意見を出そうよ」

「先生達も大変な中一生懸命取り組んでくれているわ」

 

といった意見が出始めました

 

 

最終的には前向きな言葉がチャットの主流を占めるようになり

 

結局、学校も改善に全力で取り組んでいく、保護者側もそのサポートをしていく、みんなで少しでも子供達の教育への支障を少なくしよう、みたいな着地点に落ち着いてミーティングが終了しました

 

 

もしかしたら親自身が大変な状況にある事の影響もあったかもしれませんが、オンライン上に剥き出しとなった人々の怒りを目の当たりにしてしばし呆然としていたのですが、考えればそれはただ大切な我が子の教育が満たされていないと感じた親の真剣な反応でもあり、それに引き換え自分は全く認識が甘かったと反省しました

 

 

自分ももっと教育のことを考え、子供の成長を願おうと考えた機会になったという意味で初のオンラインミーティングは恐ろしくも意義ある経験となりました

 

また僕自身も成長して、いつの日かオフィシャルな場面でジョークの1つでも披露して笑いを取れるような余裕のある大人になれるよう精進するためアメリカンジョークのオンライン講座に申し込もうと思っています

 

 

 

 

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娘に伝えておきたいこと

 

お父さんは少し歳を重ねてきた経験から、多分こうすれば上手くいくのではないか、と感じることが多少あって、出来れば〇〇に伝えておきたいなぁ、と思っている事があるんだ

 

でもこっちの都合だけで話を聞かせようとしたって上手くいかないだろうし、タイミングだってあるだろうから、いつの日か「父親は何を考えて生きていたのだろうか」なんてもし思う時があれば読んでもらえると嬉しいなぁ、そんな気持ちで書いています

 

 

 

その伝えたいことの一つに”健康”があるんだ

 

 

それと向き合う仕事をしているせいもあるし、まだまだやりたい事もあって時間が必要なためでもあるのだけれど

 

 

「どうすれば少しでも長く元気でいられるか」

 

 

ずっとこの事を考えてきて一応お父さんなりの仮説を持って生きているんだ

 

 

 

お酒を飲み過ぎない

 

タバコを吸わない

 

太り過ぎない

 

 

などの科学的に分かっている事も一応気を付けてはいるけど、それに加えてもう一つ意識している事があるんだ

 

 

 

それは

 

「体と対話する」

 

ということ

 

 

 

毎日少しでも時間を取ってそれを実行するよう意識しているんだ

 

 

どういうことかと言うと

 

 

体の中で起きていることに意識を向ける

 

 

今風に言えばマインドフルネスと言ってもいいのかもしれないけど

 

静かに目を閉じて身体の中の一つ一つの働きを想像して感じようとする

 

心臓や肺や肝臓などがどんな風に機能してくれているか

 

 

 

できれば生物の教科書みたいなものを読んで少し人間の体の事を勉強した方がイメージしやすいのだろうけど、人体の働きを理解すればするほど、精巧でもう奇跡とも言えるくらいのその仕組みに畏敬の念さえ覚えてしまう

 

 

 

例えば菌やウイルスなどから体を守ってくれる免疫システムが備わっているんだけど、何かあれば速やかに反応を起こして仲間の細胞を呼び寄せたり、必要なタンパク質をつくったりして鮮やかな連携を見せながらそれぞれの細胞が機能を発揮する。そして一度出会った敵はちゃんと記憶しておいて再度体に侵入してきた際はより速やかな反応を示す

 

 

他に言えば、止血機能、筋の収縮、神経の伝達、ホルモンの調節、腎臓の血液浄化作用、細胞の呼吸、タンパク質の合成、遺伝子の複製、そのエラーの修正、など

 

挙げれば切りがないけど、その一つ一つ本当に凄まじい事が日夜休まる事なく当たり前のように体の中で行われているんだよね。そのどれ一つでも機能が欠けるといかに大変かという事からもその大切さが分かるんだ

 

 

それを日々ちゃんと認識し、そして感謝する

 

 

そうしているとその働きが長く維持されやすくなる

 

 

きっとそうなんじゃないかなぁ、とお父さんは信じているんだ

 

 

 

怪しい話に聞こえるかもしれないけど

 

 

会社に例えるなら

 

一人一人の社員がそれぞれ誰が欠けても困るような大切な仕事を一生懸命してくれている

誰からも見向きもされなくても基本みんな真面目に働いてくれるけど、それでもやはり会社の社長がちゃんと自分の仕事の大切さを認識してくれていて、ことある毎に労いの言葉でもかけてもらえたら、そうされなかった時に比べ、やっぱりその社員は長くその会社に残って貢献してくれる可能性が高くなる

 

 

そんな感じと同じかなぁと思う

 

 

 

あるいはメンタルリハーサルみたいなものでアスリートが本番で上手くいくイメージをすれば体現しやすくなるのと同じで、体の一つ一つの組織がちゃんと機能していることを想像すると、無意識あるいはその類の影響で実際そのように働いてくれやすくなる

 

 

 

まあこれは科学的根拠のへったくれもないのだけど

 

でも現在の科学で分かっている以上に心と体は密接に結びついていると思っていて、世の中には科学で証明されていなくても大切なことがある、って個人的には信じているんだ

 

 

こんな事を言ったって所詮「個人的な感想です」って領域を出ないんだけれども、お父さんは下手したら少なくともここ10年くらいはチェックアップ以外で病院を受診した記憶がないし、体調が悪くて困ることが、たまの二日酔いを除いては、ほぼ無いんだよね

 

 

まだ比較的若いこともあるし、たまたまと言えばそうなのかもしれないけど、5分でも10分でも日々時間を取って行なっているその作業が無関係ではないと真面目に思っているんだ

 

 

 

要するに

 

人は健康を失ってみて初めてその有り難みを認識したりしがちだけど、日頃からそれを意識して感謝することを習慣づけていれば失われにくくなるんじゃないか

 

というお父さんの仮説

 

今それを実験中なんだよね

 

 

 

なんて言って〇〇がもしこれを読んでくれる頃には既にポックリいってたりしたら「全然でたらめじゃねえか」って多いに笑ってもらってかまいません

 

 

 

 

 

 

 

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ギャップの探求

 

女性はギャップに弱い

 

そう雑誌に書いてあったのを中学生の時に読んで以来その探求が僕のライフワークである

 

というのは以前にも述べた

人生をかけて追いかけているもの : 眠れない夜のお供に

 

 

ギャップがその人の奥行きを決める

 

という非常に浅はかな人間の定義を信じて生きてもいる

 

 

そのパラメーターの振れが大きいほど人としての幅が出る

 

 

ヤンキーが道端の捨て犬を愛でれば愛でるほど

 

酔拳のじじいの酔いがまわればまわるほど

 

江頭氏のプライベートでのダンディさが喧伝されればされるほど

 

趙の紀昌が弓に触れなければ触れないほど

 

只野係長が職場で無能であれば無能であるほど

 

 

ますますその奥行きが広がり人が魅かれてしまう

 

 

挙がる例えから伝わる我が教養の深さに思わずたじろいでしまいそうだが

 

自分もバカと真面目の振れを少しでも両極に近づけたいと願って日々を過ごしている

 

 

 

でも最近ふと

 

あまりふざけたことを言い過ぎると、いざ肝心な時にマトモな事をしようとしても人が受け入れてくれなくなるのではないか

 

という不安にかられ始めた

 

 

役者がバラエティに出すぎてキャラの印象が強くなると本業でシリアスな役を演じても全く入ってこなくなる

 

そんな感じと同じである

 

 

だからこんな馬鹿な事を言うのはいい加減やめにしようかと考えている

 

ただもう手遅れだとも思っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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執着

 

人からの評価が気になって仕方がない

 

そのくせ元々すっとぼけているもんだから

 

人から笑われる毎に「今に見てろよ、このおたんこなす」

 

なんて思って生きてきた

 

でも出来ることなら、そんな執着から心を自由に解き放てないかと思っている

 

人から何を言われようとも木偶の如き顔をして

 

「お主の言われる通りじゃ、かたじけない」と応じる

 

そんな悠然とした感じになれないかと願ってきた

 

 

異国で暮らしているせいか、ただ気づいてないだけか、最近笑われる機会が減った気がして、その見苦しい気持ちがさほど出てない事に気づき

 

「我ついに悟りの境地に至れり」

 

なんて歓喜の雄叫びを上げようとしていたら

 

先日見事に旧知の卑しい自分と再会を果たす機会があった

 

自尊の念が脅かされたとしてかなりプンプンしてしまったのである

 

そしてすっかり消沈してしまった

 

この捉われからまるで離れられそうにない

 

きっと爺さんになってもきっちり激昂して人をナス呼ばわりしているに違いない

 

 

もうこうなったら悟りは諦め、人の評価に捉われる己と一生向き合っていくしかないのだろう

 

むしろより盛んに執着して前へ進む弾みとしてトコトン利用してやろうかと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

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Facebookで友達申請しないのは失礼なのか

 

(くだらなさに意義を見出しており、ここにはそれ以外のことが一切書かれていない事を最初にお断りしておきます。万が一最後まで読み終えられた場合、込み上げてくる「時間を返せ」という怒りには対応しかねますので予めご了承賜りますようお願い申し上げます)

 

 

 

 

 

SNSとの付き合い方は人それぞれだろうが

 

 

僕の最近のスタンスとして自ら友達申請を行うことはあまりない

 

 

なぜなら

 

ワザワザこちらからしなくてもみんな申請して来てくれるからだ

 

 

という訳ではまるでない

 

 

「友達申請はメッセージを添えて」

 

そんなコメントをプロフィールに乗せられるような状況になる事が僕の夢でもある

  

 

なんてことはさておき

 

 

「ねえ、この人知り合いかもよ?」なんてFacebookが提示してくる度に

  

「あっ、お世話になった〇〇先生」「あぁ、あこがれの□□先輩」「今どうしてるんだろう?、なんて気になる△△君や☆☆さん」

  

なんて反応してしまう

 

  

「できることなら繋がりたい」

 

繋がって挨拶したり、近況を確かめたい、そう思うのである

 

 

そう思うのであるが、いざ『友達になる』の上に指を近づけると、途端、体に異変が起こってくる

 

 

近づけたその指がブルブルと震えだし、その震えは瞬く間に全身へと広がり、玉のような汗が吹き出して、もう卒倒寸前となるのである

 

「SNSは適度な距離をもって気楽に楽しみましょう」どころの騒ぎではない

 

もう壮絶な営みなのだ

 

 

 

 

では何故こんな反応が起こってしまうのか

 

それは恐怖である

 

拒絶に対するとてつもない恐怖である

 

 

友達申請しても認可が降りない

 

ということが今まで立て続けにおこってきた

 

 

それが面識のない人なら仕方ないだろうが、それなりに関わりのあった人からなのだ

 

 

 

 

「ねぇ、きっと今はもう見てなくて気付いてないだけだから大丈夫だよ」

 

 

そんな優しい慰めの言葉をかけてもらっても、ついあれこれ考えてしまう

 

 

「あれ、俺何かしたんだろうか」「えっ、もしかして嫌われてたの」

 

 

そう考えだすともうダメである

 

夜は眠れず食事は喉を下らず、しまいに目は虚ろとなり、髭と頭髪は乱れに乱れ、落ち武者の呪縛霊さながらの様を呈するに至る

 

 

そんな経験を重ねると、もう怖くて気軽に申請などできなくなってしまう

 

 

 

 

 

そんな訳で

 

「あんなにお世話になったのにちょっと気まずいなぁ」「スカしやがって、きっとそう思われてないかなぁ」

 

なんて思いながら「知り合いかも」を眺めているけど、自らアプローチする勇気に著しく欠ける昨今である

 

 

 

 

 

実際オメーのことなんか誰も気にしてないんだわ、にも関わらずそんな事を考えてしまう自意識過剰さ、人間の小ささを披露して一体なんの得があるのかと我ながら思ってしまうが、こんな変なことばかりを投稿している事自体がそもそも友達になってもらえない大きな要因の一つでもあることはちゃんと自覚しております

 

 

 

 

 

文章の書き方

 

文章を書くなんて簡単さ

 

まずね、自分の中の深い井戸に降りていくんだ

 

一番下までたどり着いたらそこで身を潜めてじっと待つんだよ

 

するとね、言葉がまるで湧き水のように自然に溢れ出してくるんだ

 

それをただ拾い集めていくだけの単純な作業さ

 

 

 

 

 

そう1ミリたりとも共感できそうにない事を仰られる方も世の中にはいるかもしれない

 

そんな才を持ち合わせてないボクが自分なりに大切だろうと思っていることは

 

 

何も足さない、何も引かない

 

 

どこかで聞いたことのあるコピーみたいだけど、一言で言えばこれが書く時の基本でありゴールではないかと考えている

 

 

必要なものを入れ、余計なものを除く

 

聞けば当たり前な気がするけど常にこの事を意識することは大切だと思う

 

 

 

これってさぁ、言わば「笑い」と同じなんだよね

 

 

(「は~?、お前に笑いの何がわかっとんねん!」と、すかさずツッこみが入りそうだけど、それを叱咤激励として前に進ませていただきたく存じます)

 

 

 

芸人あるいは一般の人のいわゆる小話や笑い話みたいなのを聞いて感じることがあるのだが

 

その中で「なんだかなぁ~」と思う場合の一つに話がくどいことがある

 

「そこ、そんなに説明する必要あります?」

 

余剰が多いと話がだれて聞く方の集中力が持たなくなってしまう

 

 

そしてもう一つ有りがちなのが、ウケているのは話している本人だけという状況

 

全員全力で置いてけぼりなのである

 

 

これが起きる原因の一つが情報不足だ

 

本人の中では登場人物や場面の詳細な情報が繋がっているから面白いと思えるのだが、全く知らない聞く側にとって最低必要な情報が不足すると、もう付いていけず落ちの部分でキョトンとするしかないのだ

 

えっ、今のところ落ちてたんすか?

もうバリアフリーですかってくらいスムーズだったので全然気付きませんでした

 

芸人が話をする時、笑いに繋げるために必ず登場人物の人柄が伝わる短いエピソードを挟んで聞く側にイメージを持たせるのと同じように、抜けるとまずい情報があるのだ

 

 

つまり話の理想は

 

コンパクトだけど漏れがない

 

 

 

 

文章も全くこれと同じだろう

 

 

説明が足りなくて理解してもらえない所はないか、逆に回りくどい部分はないか

 

文が一通り書けたらこれを意識して一生懸命見直す作業が大切だと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

一般的に文章を書くのは人に何かを伝えたいからなので、上のことに留意して書き、読む人が理解できればその目標は達成される事になる

 

 

ただ、そもそも人に読んでもらえなかったらその努力も虚しいものと化してしまう

 

では、どうすれば人に読んでもらえるか

 

次にこの事を考える事が大事になる

 

 

 

 

 

1、価値

 

悲しいことだが読む人にとって価値を感じてもらえなかったら読んでもらえない。役立つ、学びになる、感動できる、笑える、ほっこりする、でも何でもいいだろうが、とにかく読む人の時間と引き換えに何らかの価値を提供する事を常に追求する必要がある

 

 

 

 

2、成功談よりも失敗談を

 

ボクがこのブログを書く根本の動機は承認欲求を満たしたいからなので、本当はある事ない事を盛りに盛って自慢したいのである

 

でも人はそんな物これっぽちも聞かされたくないし、他人の何かが上手くいった話なんて大して興味がないのが人情だ

 

それが証拠に、のび太でなく出木杉くんが主人公で最終的にしずかちゃんと結ばれる漫画なんて一体誰が読むだろうか

いざ自分がしずかちゃんだったらガッツリ出木杉くんを選ぶくせに、第三者の立場になった途端、のび太に共感し応援してしまう。そんなもんである

 

それに言っときますけどねぇ、出木杉くんが主役だったらドラえもんの出る幕なんて微塵もありませんからね!

 

 

ボクは一体何の話をしているのだろうか

 

まあとにかく、人にとっては上手くいった話や自慢話よりも失敗談や人間らしいエピソードの方が耳に心地がいいのだ

 

 

自慢も他人への刺激に成りうるので必ずしも悪いことではないだろうけど、少しでも人の共感を得たいのであれば

 

無理して自分を落としめる必要はないだろうけど、出来る限り等身大で背伸びしない事

 

また油断するとその自慢したい気持ちが文章の端々に現れてしまう事

 

そういった事に留意することは大切な気がする

 

もちろん上手くいった経験も人の参考になるのでそれを共有する事は意義があるだろうけど、鼻についた瞬間去ってしまう人もいるので注意が必要だ

 

 

 

 

3、笑いを入れる

 

ボクがこんなにスベり倒して傷だらけになりながらも必死に笑いを入れようとしているのには三つの理由がある

 

 

一、人は笑ってしまうとその人を嫌いになりづらくなる、という

 

人に嫌われるのが死ぬほど怖いんですわ

 

二、基本偉そう

 

どんな趣旨の文章を書くかにもよるが、例えばこんな「文章の書き方」なんてものをどこの馬の骨かも分からないズブのど素人が人様に伝えようとするなんて、勘違いの極み、もうほんと偉そうなのだ。人にそう思われるのを少しでも少なくするために笑いを入れて誤魔化そうとしている

 

三、引き止める

 

現代人は忙しい。文を読み始めても途中でくだらんと思った瞬間人は撤退してしまう。笑いを所々に入れる事でそれを繫ぎ止められる可能性がある。もちろんその笑いのつもりが全く笑えないものだったら人の撤退をさらに加速させてしまうので諸刃の剣でもあるのだが

 

 

 

外国に来て増々強く感じるけどユーモアって生きてく上でこんなに大切なのに誰も教えてくれない

 

どうすればそのセンスを磨けるかは一生の課題だろうけど、メタ認知と人の顔色を伺う能力、これがきっと大切なんだろうなぁ、なんて分かったような事を言って深追いしないことにする

 

 

 

4、人の批判

 

人を批判しても全然オッケーだし、それ自体が目的の文章もあるだろう

 

ただ個人的には極力やめておこうと考えている。いい人と思われたいのもあるけど基本誰も楽しくないからである

 

人を批判している文章を読むとその書いている人自体の価値を下げているように感じてしまう

 

文句があるなら直接言った方がいい気がする

 

 

 

 

5、嘘を言わない

 

表現ってほんと難しいと感じる

 

たとえば

 

「この薬は効きます」

 

下手をするとこの表現は嘘になってしまう

 

より正確に言えば

 

「現在のところ科学的に統計が取られた結果この薬を服薬した人の何パーセントの割合で効果が出ると言われています」

 

その薬が効くかは確率の問題であって実際その人に有効かどうかは分からないのだ

 

 

全てに一々ここまで書かないだろうけど、嘘は簡単に言えてしまう事に自覚的になる必要がある

 

 

他のたとえを出せば

 

「人は◯◯すべきである」

 

という文があるが、これを直せば

 

「人は◯◯をした方が良いだろうと私は信じています」

 

というのがより正しくなるだろう

 

正しいといわれる価値観なんて時代や場所でコロコロ変わるからだ

 

 

やり過ぎると説得力が弱くなるので難しい所であるが、事実か自分が信じている事かが認識できた上で表現した方が人の受け入れられ方が変わってくる気がする

 

上から目線で本当かどうか分からない事を言われると人は反発しやすくなる

 

 

 

客に食べ方の注文をつけてくる頑固オヤジのラーメン屋なんかに行って

 

「まずスープから飲め!」

 

なんて言われようものなら

 

「やかましいわっ、このクソ親父がっ!

どちらかと言えば最初にスープからお嗜みになられた方がより味を楽しめると私個人は信じております、って言えやっ!」

 

なんて言ってカウンターに金を叩きつけ

 

「二度と来るかっ!」

 

と吐き捨てて店を出て行ってしまう

 

 

そんな勇気のかけらもないボクは借りてきた猫のように従順に従い

 

「ほんとだ、このスープすげ~深みがありますね」

 

なんて言ってしまうのである

 

 

 

で、何の話でしたっけ

 

 

まあつまりは、表現は常に事実か思い込みかを区別し、出来る限り嘘を言わないように気をつけた方が良いのではないかと私自身は信じております

 

 

 

 

 

 

6、たとえる

 

見よう見まねでたとえを入れるよう意識しているけどボクには何故それが大切かが分かっていない

 

作家やうまい芸人のツッコミを見ているとやっぱりたとえが鮮やかなのだ

 

普通に考えれば、具体例を提示される事で人は腑に落ちやすくなる

 

まあそれだけの事なのかもしれないが、やはり文章にたとえを入れる事は大切な気がする

 

 

 

 

 

7、万人を想定する

 

蓋を開けてみたら誰も読んでいなかった

 

なんて事もあるかもしれないけど、それでも書く以上は誰かが読むことを期待して書くことだろう

 

そして不特定多数に向けて書くのであれば、一応あらゆる人を想定した方がいいと思う

 

何を書こうがどこかで傷つく人や不快に感じる人がいる可能性がどうしたって出てくる

 

仕事、パートナー、子供、健康、趣味、他もろもろ何の事であれ

 

「この表現によって嫌な気分になる人っているだろうか」

 

万人に悪く思われないようにする事は不可能だけど、常にそれを意識して悪い事はないだろう

 

それと同時に当たり前のことだろうけど

 

人がどう解釈するかは人の勝手

 

文句を言われようが誤解されようが全て折り込みずみですよ、という心構えは大切な気がする

 

 

 

 

 

 

8、ほか諸々

 

・一文はできるだけ短くする

 

・書いたら声に出して読み心地よいリズムに修正する

 

・最初に掴みを入れる事を意識する

 

・興味を引く題をつける

 

・アイドルの写真を入れる、などの姑息な手を使って人を呼び込む

 

・具体的に書く

 

・自分の体験を書く

 

・自分の言葉で書く

 

・漢字とかなのバランスを見る

 

・平易になり過ぎてもあれだが、人が理解しづらい言葉を多用し過ぎない

 

・沢山読み、沢山書く

 

 

 

 

 

9、恥は一時

 

文章が上手かろうが上手くなかろうが、人が読んでくれようが読んでくれまいが

そんな事は結局あまり大した事ではない気がする

 

言いたいことがあれば表現し、やりたい事があればやる

 

だって、うかうかしているとあっと言う間に人生が終わってしまいそうな気がするんだもの

 

どんなに恥をかこうがそれ程長くは続かない

 

自分もそのうちいなくなるし、それを知っている人たちもいつかはいなくなる

 

だから大丈夫である

 

 

 

10、最後に

 

SNS界隈も少し落ち着いたよそいきを見せていますが、そこで表現する時に自分なりに意識している事を書いてみました

 

ただ最後にこんな事を言ったらなんですが、あまり人の顔色ばかり伺っていると疲れるし、一生懸命空気ばかり読もうとしてたら時代を革新するイノベーションなんて起こりにくいですからね

 

「じゃあ、どないしたらええねん」というツッこみにお答えする形で本文を終わりにしたいと思います

 

「そんなこと知らんがな」

 

 

 

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