ギャップの探求

 

女性はギャップに弱い

 

そう雑誌に書いてあったのを中学生の時に読んで以来その探求が僕のライフワークである

 

というのは以前にも述べた

人生をかけて追いかけているもの : 眠れない夜のお供に

 

 

ギャップがその人の奥行きを決める

 

という非常に浅はかな人間の定義を信じて生きてもいる

 

 

そのパラメーターの振れが大きいほど人としての幅が出る

 

 

ヤンキーが道端の捨て犬を愛でれば愛でるほど

 

酔拳のじじいの酔いがまわればまわるほど

 

江頭氏のプライベートでのダンディさが喧伝されればされるほど

 

趙の紀昌が弓に触れなければ触れないほど

 

只野係長が職場で無能であれば無能であるほど

 

 

ますますその奥行きが広がり人が魅かれてしまう

 

 

挙がる例えから伝わる我が教養の深さに思わずたじろいでしまいそうだが

 

自分もバカと真面目の振れを少しでも両極に近づけたいと願って日々を過ごしている

 

 

 

でも最近ふと

 

あまりふざけたことを言い過ぎると、いざ肝心な時にマトモな事をしようとしても人が受け入れてくれなくなるのではないか

 

という不安にかられ始めた

 

 

役者がバラエティに出すぎてキャラの印象が強くなると本業でシリアスな役を演じても全く入ってこなくなる

 

そんな感じと同じである

 

 

だからこんな馬鹿な事を言うのはいい加減やめにしようかと考えている

 

ただもう手遅れだとも思っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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