Facebookで友達申請しないのは失礼なのか

 

(くだらなさに意義を見出しており、ここにはそれ以外のことが一切書かれていない事を最初にお断りしておきます。万が一最後まで読み終えられた場合、込み上げてくる「時間を返せ」という怒りには対応しかねますので予めご了承賜りますようお願い申し上げます)

 

 

 

 

 

SNSとの付き合い方は人それぞれだろうが

 

 

僕の最近のスタンスとして自ら友達申請を行うことはあまりない

 

 

なぜなら

 

ワザワザこちらからしなくてもみんな申請して来てくれるからだ

 

 

という訳ではまるでない

 

 

「友達申請はメッセージを添えて」

 

そんなコメントをプロフィールに乗せられるような状況になる事が僕の夢でもある

  

 

なんてことはさておき

 

 

「ねえ、この人知り合いかもよ?」なんてFacebookが提示してくる度に

  

「あっ、お世話になった〇〇先生」「あぁ、あこがれの□□先輩」「今どうしてるんだろう?、なんて気になる△△君や☆☆さん」

  

なんて反応してしまう

 

  

「できることなら繋がりたい」

 

繋がって挨拶したり、近況を確かめたい、そう思うのである

 

 

そう思うのであるが、いざ『友達になる』の上に指を近づけると、途端、体に異変が起こってくる

 

 

近づけたその指がブルブルと震えだし、その震えは瞬く間に全身へと広がり、玉のような汗が吹き出して、もう卒倒寸前となるのである

 

「SNSは適度な距離をもって気楽に楽しみましょう」どころの騒ぎではない

 

もう壮絶な営みなのだ

 

 

 

 

では何故こんな反応が起こってしまうのか

 

それは恐怖である

 

拒絶に対するとてつもない恐怖である

 

 

友達申請しても認可が降りない

 

ということが今まで立て続けにおこってきた

 

 

それが面識のない人なら仕方ないだろうが、それなりに関わりのあった人からなのだ

 

 

 

 

「ねぇ、きっと今はもう見てなくて気付いてないだけだから大丈夫だよ」

 

 

そんな優しい慰めの言葉をかけてもらっても、ついあれこれ考えてしまう

 

 

「あれ、俺何かしたんだろうか」「えっ、もしかして嫌われてたの」

 

 

そう考えだすともうダメである

 

夜は眠れず食事は喉を下らず、しまいに目は虚ろとなり、髭と頭髪は乱れに乱れ、落ち武者の呪縛霊さながらの様を呈するに至る

 

 

そんな経験を重ねると、もう怖くて気軽に申請などできなくなってしまう

 

 

 

 

 

そんな訳で

 

「あんなにお世話になったのにちょっと気まずいなぁ」「スカしやがって、きっとそう思われてないかなぁ」

 

なんて思いながら「知り合いかも」を眺めているけど、自らアプローチする勇気に著しく欠ける昨今である

 

 

 

 

 

実際オメーのことなんか誰も気にしてないんだわ、にも関わらずそんな事を考えてしまう自意識過剰さ、人間の小ささを披露して一体なんの得があるのかと我ながら思ってしまうが、こんな変なことばかりを投稿している事自体がそもそも友達になってもらえない大きな要因の一つでもあることはちゃんと自覚しております